関ヶ原より少し前。
舞台は日本ではない。
海を越えた朝鮮半島。
それが、
泗川の戦い。
時は文禄・慶長の役。
総大将はすでに世を去り、
戦の空気は重く、終わりを予感していた。
そこにいたのが、
薩摩の武将、
島津義弘。
敵は明・朝鮮連合軍。
兵力は数万とも言われる。
対する島津勢は、はるかに少数。
普通なら籠城して耐える。
しかし薩摩は違った。
夜襲。
そして銃撃。
当時の薩摩は鉄砲運用に優れていたと言われる。
引きつけて、撃つ。
崩れたところを斬り込む。
戦場は混乱に包まれ、
連合軍は総崩れになる。
兵力差を覆す勝利。
しかも敵将級にも大きな損害を与えたと伝わる。
ここでもまた、
「薩摩は強い」という印象が刻まれた。
圧倒的有利だったわけではない。
奇跡でもない。
準備と覚悟の積み重ね。
後に関ヶ原で見せる、
あの退き口にも通じるものがある。
攻める時は徹底的に攻める。
退く時は命を賭して退く。
泗川の夜、
薩摩の火縄銃が闇を裂いた。
その音は、
遠く九州まで響いたのかもしれない。
最強とは、
勝ち続けることではない。
劣勢でも折れないこと。
泗川の戦いは、
薩摩隼人という言葉に、
現実味を与えた一戦だった。
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