戦ったことのない相手を、
人は簡単に神にする。
だが私は、
あの男と一度、刃を交えている。
虎牢関。
劉備、張飛、関羽――三人がかり。
それでも、私を止めきれなかった。
関羽は、確かに強かった。
重い刃、迷いのない踏み込み。
あれは“武を積んだ者”の動きだ。
だが。
あのとき、
私の視界に映っていたのは、
関羽一人ではない。
三人がかりで、
ようやく「相手として成立する」
それが、あの戦だった。
だから思う。
関羽は神ではない。
強い人間だ。
神と呼ばれるのは、
たいてい死んだあとだ。
生き残って語る者が、そう呼ぶ。
関羽は、義を背負っていた。
だから刃が鈍る瞬間がある。
張飛は、怒りを背負っていた。
だから隙ができる。
私は何も背負っていなかった。
ただ勝つために、振るった。
それだけの違いだ。
「武神・関羽」
そう呼びたい者の気持ちは、わかる。
だが、あの戦場に立っていた私からすれば、
一つだけ、はっきりしている。
神は、汗をかかない。
だが関羽は、確かに汗を流していた。
私もだ。
だからこそ、
あの戦は、本物だった。
神話ではない。
英雄譚でもない。
――ただの、命の取り合いだ。
関羽が後の世で神になったのなら、
それはそれでいい。
だが私は知っている。
あの男は、
“人として、全力で刃を振るった武将”だった。
それで十分だ。
神よりも、
よほど価値がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿