歴史の「もしも」は、だいたい夜に考え始める。
しかも、ちょっと疲れてる日に限って。
もし、あの本能寺の夜がなかったら。
もし、織田信長が明智光秀に倒されていなかったら。
そんなことをAIに聞いてみたら、
たぶんAIはこんな前置きをする。
「歴史は一人で作られないけど、信長は例外に近い存在ですね」
確かにそうだ。
信長って、英雄というよりシステムブレイカーだった気がする。
空気を読まない。前例を信じない。
そして、たぶん“安定した天下”には、そこまで興味がない。
もし生きていたら、
天下統一はもっと早かったかもしれない。
でも同時に、もっと不安定だった可能性もある。
AIは続ける。
「信長が生きていた場合、日本は“統一国家”より
“実験国家”に近づいたかもしれません」
楽市楽座、身分制度の破壊、宗教勢力の排除。
今で言えば、既得権益を片っ端から壊すタイプの改革者だ。
たぶん信長は、
完成した国を眺めて満足するタイプじゃない。
「次は何を壊そうか」
そんなことを考えていた気がする。
一方で、ふと思う。
信長が生き続けた世界では、
豊臣秀吉は“調整役”のまま終わっていたかもしれないし、
徳川家康は、あの長期安定政権を作れなかったかもしれない。
AIは冷静に言う。
「信長が長く生きるほど、日本の歴史は“効率的”になりますが、
“やさしく”はならなかった可能性が高いです」
なるほど、と思う。
信長の時代が続くということは、
成果主義が続き、切り捨ても早い社会が続くということだ。
それは、ちょっと息が詰まる。
結果的に、信長は途中で退場した。
そして秀吉がまとめ、家康が固定した。
歴史としては、
たぶんその方が「人間向け」だったのかもしれない。
AIは最後に、こう締める。
「信長は“未来を一気に引き寄せすぎた人”です。
だから、長く居続ける役ではなかったのかもしれません」
もし生きていたら、
日本はもっと早く近代化していたかもしれない。
でも、その分、こぼれ落ちた人も多かった気がする。
そう考えると、
本能寺は“裏切り”というより、
歴史のブレーキだったのかもしれない。
……まあ、
そんなことを考えながら、
今日も歴史の「もしも」で、少し現実から離れてみる。
雑記って、だいたいそれでいい。
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