2026年2月3日火曜日

「日の本一のつわものが、真田幸村だと聞いたとき」――本多忠勝の胸の内

人づてに聞いた。
「日の本一のつわものは、真田幸村である」と。

……そうか、と私は思った。
否定はしない。
だが、うなずきもしない。

戦(いくさ)というものは、
名乗った者が勝つ世界ではない。
ましてや、評判で決まるものでもない。

真田幸村――いや、信繁か。
あの男が強いことは、誰よりも知っている。
大阪の陣で見せた赤備え、
あれは確かに、武の極みに近かった。

一瞬の切れ味。
覚悟を決めた者の、捨て身の強さ。
あれを“つわもの”と呼ぶのは、間違いではない。

だがな。

私は思う。
生き残り続けることもまた、武だ。

私は徳川に仕え、
数えきれぬ戦をくぐり抜けた。
傷はあっても、致命傷はない。
それが何を意味するか、戦場に立った者ならわかるはずだ。

幸村は、美しかった。
だが美しい戦は、長くは続かぬ。

「名を残す武」
「時代を越える武」

どちらが“日の本一”か。
それは、見る者の立場で変わる。

もし私が、
豊臣に殉じる立場であったなら、
幸村のような戦いを選んだかもしれぬ。

だが私は、
主を守り、家を残し、
次の時代へ武を渡す道を選んだ。

それでも、あの男の最期には、
一礼せねばなるまい。

敵であっても、
同じ時代に生きた武士として。

「日の本一のつわもの」
そう呼ばれる覚悟を、
あの男は、命で払った。

私はただ、生き残っただけだ。

だが、生き残った者にしか見えぬ景色もある。
戦のない世を、
遠くから眺めることもできる。

だから私は言おう。

真田幸村は、
“最も燃えた武将”であった。

そして私は、
“最後まで折れなかった武将”であった。

どちらが上かなど、
もはやどうでもよい。

武とは、
比べられるものではない。

そう思いながら、
私は今日も、静かに槍を立てている。

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