徐州の城壁に、劉備の旗が再び翻っていた。
曹操のもとを離れ、ようやく取り戻した自分の居場所だった。
集まった兵は多くない。
城も決して堅固ではない。
それでも劉備のそばには、関羽と張飛がいた。
三人で立っている限り、ここからもう一度始められる。
劉備は、そう信じていた。
だが、その時間はあまりにも短かった。
曹操軍が徐州へ迫ったという知らせは、冷たい風のように城内を駆け抜けた。
遠くに見える地平線が、黒く埋まっていく。
軍旗。
騎兵。
槍の列。
曹操は、劉備が再び立ち上がることを許さなかった。
戦いが始まると、徐州の兵は次々に崩された。
城門の外では馬が倒れ、土煙の中で怒号が重なった。
味方の旗が一本、また一本と地面へ落ちていく。
劉備は剣を握りながら、何度も兵を立て直そうとした。
「まだ終わってはいない」
そう叫んでも、声は戦場の音に飲み込まれた。
曹操軍の勢いは止まらない。
前から押され、左右から切り崩され、劉備の軍は逃げ道さえ失い始めた。
張飛の姿は見えなかった。
関羽の旗も、いつの間にか煙の向こうへ消えていた。
劉備は振り返った。
そこにあったはずの徐州が、炎と砂煙に包まれていた。
城の中には家族がいる。
守らなければならない者たちがいる。
だが、戻れば包囲される。
立ち止まれば、残った兵まで失う。
劉備は歯を食いしばり、馬を走らせた。
逃げるしかなかった。
背後から聞こえる戦いの音が、少しずつ遠ざかっていく。
守ると決めた城も、集めた兵も、家族も、兄弟も、すべてが徐州に残されていた。
劉備の手の中には、もう何もなかった。
その頃、関羽は下邳に取り残されていた。
そばには劉備の家族がいた。
逃げ道は曹操軍によって塞がれ、城の外には数え切れないほどの兵が並んでいる。
関羽は城壁の上から、その光景を黙って見つめていた。
ここで死ぬことはできる。
だが、自分が死ねば、兄の家族を守る者はいなくなる。
曹操から降伏を求める使者が来た。
関羽は長い沈黙のあと、青龍偃月刀を置かなかった。
ただ、条件を告げた。
劉備の家族を守ること。
自分は曹操ではなく、漢王朝へ降ること。
そして劉備の居場所が分かれば、必ずそのもとへ向かうこと。
こうして関羽は、曹操のもとへ身を置いた。
裏切ったのではない。
いつか兄のもとへ帰るために、敵の陣営で生きる道を選んだのだった。
張飛もまた、戦場の混乱の中で劉備を見失っていた。
張飛は馬を走らせ、逃げてきた兵をつかまえては問い続けた。
「兄者を見なかったか」
誰も答えを持っていなかった。
ある者は劉備が討たれたと言い、ある者は北へ逃げたと言い、別の者は曹操軍に捕らえられたと話した。
張飛はそのすべてを信じなかった。
劉備が簡単に死ぬはずはない。
自分たちを置いて、消えてしまうはずもない。
張飛は荒れた道を進み、村を訪ね、夜になっても劉備を捜し続けた。
名前を呼んでも、返事はない。
聞こえるのは、風に揺れる木々の音だけだった。
劉備は一人、遠い道を歩いていた。
馬を失い、兵を失い、身につけていた鎧も泥に汚れていた。
夜の冷たい雨が肩を打つ。
振り返っても、誰もいない。
関羽もいない。
張飛もいない。
家族もいない。
何度積み上げても、すべてが崩れていく。
ようやく手に入れた領地も、集まった兵も、守ろうとした人々も、また失った。
自分には、何も残らないのではないか。
そんな思いが、劉備の胸を締めつけた。
道の途中で、劉備は足を止めた。
雨に濡れた地面を見つめながら、桃園で交わした誓いを思い出した。
同じ日に生まれることは願わない。
ただ、同じ日に死ぬことを願う。
あの日、三人は何も持っていなかった。
領地もなかった。
兵もいなかった。
名声もなかった。
それでも三人で歩き始めた。
ならば、今も同じだった。
すべてを失ったのなら、また探せばいい。
関羽は生きている。
張飛も生きている。
二人もきっと、自分を捜している。
劉備は顔を上げた。
暗い雲の向こうが、わずかに白み始めていた。
どこへ向かえば二人に会えるのかは分からない。
明日、何が待っているのかも分からない。
それでも劉備は歩き出した。
領地がなくてもいい。
兵がいなくてもいい。
三人がもう一度そろえば、そこから再び始められる。
離れ離れになった関羽も、劉備を捜す張飛も、同じ空の下を歩いている。
そのことだけを信じて、劉備は雨の道を進み続けた。
すべてを失っても、三人の絆までは奪われていなかった。
そして、その絆が残っている限り、劉備の物語はまだ終わらなかった。
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